衝動のごみ捨て場

書きたくなったから書く、、

村上春樹が好きなんだけど

村上春樹が好きであることには

村上春樹の文章が好き

村上春樹を好きな自分が好き

の2つがある。

 

まあこれは好きになるっていうことに対してすべて言えることで

何かを好きになるということは、

「自分がそれを好きである」ということと

「それを好きな自分のことも好きである」ということが

両立しないと

人間は何かに対して好きという感情を持てないと思う。

「それを好きな自分のことが好きじゃない」みたいなこと

結構あるんじゃないかな。

例えば有名なバンドと無名なバンドがあって

同じような音楽をやっているとして

有名(だけどなんか流行りモノってイメージ)なバンドだと

その音楽は確かにすきなんだけど

それを好きな自分は、流行りものに乗っかってるみたいでなんか好きじゃない

一方で無名バンドの場合は

その音楽は確かに好きだし

それを好きな自分も、通っぽくて好き

で結局好きなバンドになるのは無名なほうだったり

逆に無名だと自分の判断を信用できなくて

有名だと、有名であることに背中を押されて、

それを好きな自分というのを肯定できるという人もいそう。

 

要するに

人間はみな何かを選ぶときに

〇〇な自分が好き

っていう価値基準は常に持っていて

だから人間はみな何かを選ぶときに

ほぼ確実に自分のことを客観視するわけで

そうするとどうしても他人から見た自分の姿を意識したうえで

それを受容できるかできないかの判断があるわけで

だから好き嫌いとか含めた選択には

常に他人からの目線というのを意識していると思う

っていう話は前にもしていたから

たぶん俺は永遠に同じことを考えて

思考を深めることはせず

考えてる振りをして

「ぶってる」んだろなあ。。。