夜
3連休の最終日は眠れない。
正しくは眠らない。
眠ると明日が来てしまうので。
別に明日が嫌なわけじゃないんだけど
一週間が始まる前に、考えること考えてしまいたいみたいな気分になったりする。
まあ大したことを考えているわけじゃない。
例えば、部活やサークル、バイトの先輩や同期や後輩や、みんな立派な大企業に勤めていて、その中の自分がいかにちっぽけで、横並びの没個な存在であるかみたいな。
そんなしょうもない話。
23歳はまだ、自分はもしかしたら特別なんじゃないかって思っている。あ、この前23歳になった。
多分24、25と、会社の中であれやこれややっているうちに、自分が特別じゃないことに気づかされる。
でもそれは会社の中で自分が特別じゃないという話で、世間の中で自分が特別じゃないこととはイコールじゃない。
組織で評価される人間、そうじゃない人間はきっといる。
レールの上で特別になれない人間は、自分が特別を持っているか否かはレールから飛び降りてみないとわからないらしい。
まあ本当に特別じゃないことがわかっちゃったらしんどいからレールに乗っかってレールから降りられない理由を探して心のどこかで自分が特別なんじゃないかという希望を抱いたままその特別を見つけられずに死んでいく人生が、たぶん、普通。
普通だから、結局そいつは特別じゃなかった。
逆に言えば、実はレールから飛び降りた時点である種の特別になれるんじゃないか。
飛び降りる勇気があることは、飛び降りる勇気があるという一点において、マスに対して特別なのではないか。
その先に何の特別も見つからなかったとして、またレールにひょっこり戻ったとして、レールに戻ることもかなわずに行く当てなくさまよったとして、
レールの上からそれを笑う人がいたとして、
レールから飛び降りた時点で、レールから飛び降りられない人からすれば、特別だ。
もちろん飛び降りた先には飛び降りた人しかいないから、その中で特別になるのはこれまた難しいだろう。レールの上のほうが向いてたなあって後悔する人もたくさんいるだろう。
でも上のほうが向いてたなあなんていうのは下になってみないとわからない。上も下も向いてないかもしれない。上のほうが向いてたけど下のほうが楽しいかもしれない。それは上にいるだけじゃわからない。
とりあえず何が言いたいわけでもないけど。
特別というのは、どの集団に対して特別かという話で
俺が属してきた集団に対してという意味なら、大企業を辞めた時点で特別。
もっと広い世界を見たら、会社作ったとか社長になったとかなったらまた特別。
もっと広い世界を見たら、社長として何億稼いだとか、上場させたとかなったらまた特別。
もっと広い世界を見たら…と、結局上には上がいて際限ない特別がいる。
でも特別になるためにはどこかで他からはみ出なくちゃいけない。
抜きんでる必要はない。はみ出ればいい。はみ出れば特別だ。
と思う。
まあ僕は僕であるだけで僕という特別なんだとはいえるけども
僕の特別を保証する人間はいない。家族くらい。
まあそれはどうでもよくて。
はみ出たいなあと思う。
はみ出ようと思ったらそれは早いほうがよくて。
ずっと30までには会社辞めて、みたいに思ってたけどきっとそれじゃ遅くて。
もしかしたら今の会社で働いている一分一秒さえ無駄かもしれない。
まあ無駄ではないんだけど。無駄と思うことは絶対によくないんだけど。
まあそんなことを思いながら時計の針はグルグル回っていて
こうやって文字を書いている時間が一番無駄だろうと、早く寝て明日の仕事に備えろよというのが普通の思考なんだろうけど。
僕は良くも悪くも特別なので。
三連休の最終日は、オールで仕事に行くのです。
特別なので。