言葉
言葉を紡ぐ営みは、人を豊かにする。
人がモノを理解するとき、そこには必ず言葉が介在している。
つまり言葉を扱うことができない人間は、物事を本質的に理解することはできない。
例えばとても綺麗な写真ととてもおいしい料理があったとして
それはどちらも「やばい」と形容できるかもしれないけれど
それでは両者の「甚だ優れている」という部分しか手に入れることはできず
それぞれの本質を理解することはできない。
それらは「やばい」と形容されるが故に「やばい」ものとしてしか認識されない。
人は自分のことを理解しようとするときにも、言葉の力を頼る。
人は何かを考える時には言葉を使わざるを得ないのだから当然だ。
しかしそこで言葉を持たない人は、自分の本質的な理解を得ることはできない。
なんとなくいい気分
なんとなくいやな気分
なんとなく好きな人
なんとなく嫌いな人
表現する適切な言葉を持たない人間は、知っている言葉のうちから感情や思考に近似する言葉を選択して使用するわけだが
当然言葉の引き出しが多い人間ほど、その本質に近似した言葉を選び取ることができる。
これは言語の特質にも依存するのかもしれないが、日本語はその点で色々な表現を残しているから、本質の表現に優れていると思われる。